2014.12.23 スタッフブログ
今回は、会澤工務店の常務取締役“会澤宣雄”が、ハウスメーカーへの就職した後のお話です。
就職活動中、第一志望だった住宅メーカーの説明会は大事な宅建の研修と重なり、参加できませんでした。就職氷河期だったため、再受験の望みも叶えられませんでした。
それでも「いまできることを一生懸命やろう」を信条に、他社を受けて内定し、大手のハウスメーカーで現場監督として働き出すことになりました。
実家の手伝いが長く、大工の考えが理解できたため、通常は、社会の洗礼を浴びせる気難しい大工ともすぐに意気投合できたのは宣雄の強みになりました。
そのハウスメーカーは、工事が始まったらすべて現場監督の権限で決めていくため、大工を巻き込んで強いチームをつくることができたのは、大きな自信となりました。
朝早くから、夜遅くまで仕事をこなし、年間15棟というハイペースで家を建てることができたのです。
その実績を買われ、滅多に注文が入ることがない、自動車会社経営者が施主である、70坪で5000万円超の最高級グレードの物件を担当するチャンスにも恵まれました。
気を遣う場面がとても多く、緊張感ある物件でしたが、なんとかやりきることができました。完成後はバーベキューに招かれるなど、とてもよくしていただきました。
着実に実績を積み上げていたのですが「将来のため、もっと成長するために、他でも学んでみたい」と考え、大胆にも辞めてしまいます。
次は工務店に行こうと思っていましたが、依然就職氷河期だったため、仕事先が見つかりません。若気の至りだったことに気づくこととなります。
将来の準備として簿記の勉強をしていましたが、就職先が決まらないまま、時間はいたずらに3ヶ月経ちました。宣雄の気持ちは焦り始めます。